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この番組は全部とは言いませんが、多くの方々に愛されている番組だと思っています。
だから私が細々と説明をする必要はないと思います。番組はシンプルで定点カメラを72時間設置して、そこに来る人々の人間模様をインタビューする、というだけの番組です。なぜこれほど共感するのかはわかりません。もちろんスタッフが設置する舞台の設定のセンスもあると思います。

ただコロナ以後の最近は自分と周囲のことで精一杯で、折角の番組なのですが気持に余裕もなく、あまり観なくなってしまいましたが、以前はほぼ毎週のように観ていました。本当はこういう時こそ観た方がいいのかもしれません。

この記事を記載することで、また再度観ようかな!、とも思っています。
また年末に放映するほぼノンストップの番組、「ドキュメント72時間今年のベスト10」は今でも出来る限り観るようにしています。ある意味これを観れば、視聴者が決める今年のいいテーマが一気に観れるからです。

今週も金曜日の22時45分から総合テレビで新作の番組が放映予定です。また水曜日の17時からBS1で、そして土曜日の朝9時から総合テレビでそれぞれ近々の再放送が放映される予定です。テーマはNHKの番組ホームページをご覧ください。

この番組以降、NHKの中も含めて、これに類した番組が出来てきた?と感じる番組も増えてきたように感じています。

この番組は2006~2007年に放送され、中断があり2012年からは本格的に放送が始まりすでに10年経っても固定ファンがたくさんいるような長寿の人気番組だと思っています。

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さてここからはコラボサイトの「文化資料的写真集」です。

ー消滅した鳩ケ谷市里・川口安行・さいたま市緑区大門の様子ー
(2008年ごろの写真)

私が小さいころから育った埼玉県南東部の旧・鳩ケ谷市里(現川口市)は、昭和40年頃は完全な農村的な地域でした。またそれに隣接する川口市の安行地区(旧安行町)、さらにそこから岩槻街道を進んださいたま市緑区大門(旧美園村→旧浦和市)はもっと田舎でした。今は鉄道(埼玉高速鉄道)も開通、岩槻からスタートしていた東北縦貫道も浦和まで延伸して延長した首都高速とつながり、都心からの直線距離が短いこともあり、急激に発展しました。

現在この地域に住んでいる方の多くは最初の私の文章自体、信じられないかもしれません。

ここでは1974年に引っ越して以来長年ほとんど訪れることがなかったこの地域を久しぶりに訪ねた2008年に撮影した写真を何点か掲載します。

もちろん2008年も今から15年前で、鳩ケ谷もまだ独立した市でした。
このころはまだ安行には日本三大産地として名産の植木畑も多く見られ、さいたま市緑区大門には里山の風景と広大な田園風景が残っていました。現在はさらに変わっているかもしれませんね。

・旧鳩ケ谷市大字里~桜町付近
旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・西公団2

国道122号線バイパスの鳩ケ谷市里の北端、西公団前(昔の自宅のあった住宅です)の様子
※西公団は私が住んでいた昭和33年建築で中は木枠と白壁の二階建ての長屋風建物は取り壊され高層住宅に建て替わっていました。
旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・歩道橋.2
西公団前に昔からあった歩道橋と鳩ケ谷市の看板

旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・西公団バス停2
当時の鳩ケ谷市の運行していたらしい地域バスの「西公団バス停」

旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・富士見台2
西公団から、昔のバスの折り返し場に向かう途中で通る「富士見台」付近の様子
※私が住んでいたころから住宅がたくさん建っていて都市的な風景の地域でした。

旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・バス折り返し跡2
昔のバスの終点折り返し場付近

※当時は赤羽、川口、西川口、蕨の他に安行見本園や戸塚(美園)循環、岩槻方面発着のバスもすべてここが終点折り返しになっていました。

旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・地蔵院2
バスの折り返し場の裏にあった「地蔵院」という当時市内では最大級のお寺

※地域の名士でもある小谷三志ゆかりの寺でもあった、と小学生のころに「鳩ケ谷」という教科書で習いました当時よく私の母が会合で夜にこの寺に行っていたようで、当時の住職とも知人だったようです。
※ちなみに私は小谷三志がどのような名士だったかはいまだに詳しく知りません・・。


・川口市安行地区
私が住んでいた住宅は鳩ケ谷市大字里の北端で、住宅前の道路から北は川口市大字西新井宿で、さらにその先は大字新井宿という地域ですでに安行地区となり、私が住んでいた当時は植木畑ばかりでした。現在は西公団から約6~700メートルくらいのところに埼玉高速鉄道の「新井宿駅」があります。まだこの付近は地下なので出口があるのみです。

旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・新井宿駅2
新井宿駅入口

旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・新井宿植木2A
旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・新井宿植木1B
新井宿の植木畑の風景

※今でも新井宿から国道122号線沿いに鳩ケ谷方面(南)に進むとそこには植木畑が広がっています。

・浦和美薗付近(さいたま市緑区大門)
日光御成街道(岩槻街道・国道122号線)では鳩ケ谷の宿場の次は「大門」でした。私の通っていた里小学校でもクラスに何人かは親の実家が大門なので、盆暮れには大門に帰る、というクラスメートもいました。また遠足などでもこのあたりや周辺の「野田のさぎ山」「通船掘」「三重塔」などがあり結構行く機会が多い地域でした。また昭和48年に農村地帯にいきなり武蔵野線が開通し、この地に「東川口駅」が出来ましたが、まだ計画の時点では計画地図には新駅名は「美園」と昔の村名になっていました。その後の発展を考えれば、今では「東川口駅」にしてよかったのかもしれませんね。

旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・浦和美園駅2
浦和美園駅(埼玉高速鉄道の終点)

※ここでは鉄道はすでに地上にでていて、地上駅になっています。

旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・埼玉スタジアム2
埼玉スタジアム(浦和レッズホーム)

※駅近くにある全国的にも有名で、今やサッカーどころの旧浦和市民のシンボル的存在

旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・浦和美薗イオン2B
駅近くに建った「イオン」のショッピングセンター

※土地がふんだんにあるためか相当な大きさです。

旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・美園里山1B

浦和美園駅前はまだ開発途上のようで、写真のように空き地がたくさんありました。

旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・美園里山2B

一時は全国的に水質でいい評判でないことで有名になった「綾瀬川」


浦和美園駅付近の里山風景、田園風景
旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・美園里山3B美園里山4B
旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・美園里山5B
旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・美園里山6B
旧鳩ケ谷市と川口市安行とさいたま市緑区大門・美園里山7B

※ここは現在のさいたま市緑区大門と岩槻区(旧岩槻市)が交錯している地区ですが、2008年時点では風景的には広大な農村的な風景が続き、市境なのかもよくわからない感じです。